絵画に関する考察
自分は、日々絵を描いているのだが、一旦立ち止まって、自分にとって、絵を描くと
はどういったことか考えてみたい。
精神物質
立花隆さんの著書で「精神と物質」というタイトルの対談の本を見かけた事がある。
絵とは、まさに画家の精神と、絵の具という物質の混ざりあった「精神物質」だと考
えます。画家が、例えば、他界したとしても、画家の精神は、絵の具と混ざり合って
絵としてこの世に残る。ダビンチのモナリザが、もし自分の寝室にあったら、おそら
く落ち着いて眠れないのでは?それは、「モナリザ」が、単に「絵の具の塊」ではな
く、そこには、ダビンチの「霊性」が宿っているので、落ち着いて眠れなくなってし
まうのかも。絵画とは、画家の精神を宿し、遺す装置なのかもしれない。
普遍性
例えば、「ゴッホ」の絵画は、どんな宗教の人でも、どんな国の人でも、どんな人種
の人でも心動かされる。それは、ゴッホの絵画が、宗教、国、人種といった境界を超
えた、人間の持つある種「普遍性」を持っている、到達しているので、人の あらゆる
境界線を超えて感動させる事ができるのだと思う。こういった「普遍性」
を持った芸
術が、優れた芸術だと言えるのかもしれない。
考えるな感じろ
これは、自分の持論なのだが、絵を描く事は「考える」より、「感じる」事が大切な
行為なのではと思うのです。もちろん、画家は、普段、絵を描くことについて、いろ
いろ考えることはとても大切で、自分もこういった論考で考えているのだが、いざ描
く瞬間は、「考えて描く」より「何かを感じて描く」「何かと繋がりながら描く」事
が大切なのだと思うのです。例えば、野球選手が、普段練習して、自分のフォームを
研究したりして考えたりするのだが、いざ試合の時は、いちいち考えて勝負に臨むの
ではなく「直観」で勝負するのだと思うのです。まさにブルースリーの名言「考える
な、感じろ」なのです。
これでいいのだ
自分は、美大受験期、講師の方から「絵画制作で、絵がつまんなくなったら、それま
での仕事を一旦下地だと思って、新たに描く、大きく壊すと、絵の新鮮さが蘇る」
と教わった。このことは、画家となった今の抽象画制作でも変わらぬ基本理念で、絵
が行き詰まったら、大きく変える、勝負に出る、という事を大切にしている。たとえ
勝負に出て、作品が悪くなっても、それは大事なプロセスだととらえ、それでいいの
だと思うようにしている。
バカボンのパパの「これでいいのだ」の真意は、なにもやらずにダメな事は本当にダ
メで、逆に、トライしてダメだったことは「これでいいのだ」なのだ、という哲学だ
と学んだ。まさに、自分の絵画制作も「これでいいのだ」というスタンスなのです。
2026年5月29日