都会と言語
ここ日本の現在の中心は、あらゆる面からみて「東京」という都会だろう
東京という都会は、日本各地からの地方人及び、その二世、三世の集まり
である。もともと、東京がルーツの人も確かにいるが…。
そして、東京では、どの地方の人にも共通な「標準語」が会話に使われる。
また、地方に住んでいる人たちも、方言と標準語を使い分ける。
これを、世界規模に当てはめて考えると、標準語が「英語」ということに
なるのだろう。
とすると、現在の世界的な都会国は、様々な人種、民族、国の人の集まり
で出来た「アメリカ」なのではないだろうか?
都会国は、アメリカ、地方国はその他の国、というのは言い過ぎか?
その考えに従うと、世界の様々な国の言語は、ある意味で方言、標準語は
英語という事になる。
そもそも、英語が、国際的共通言語、標準語になった理由は、過去の英国
の世界的支配、という歴史的事実もあるが、英語が、どの民族、国の人に
も勉強しやすい「表音文字」のアルファベットの組み合わせでできている
からとは言えないか?
漢字などの「表意文字」は、余りにも繊細で複雑すぎて、様々な国、民族
が共有するには、難しすぎたのかも知れない。
ただ、日本の歴史を観ても解るように、「都」は、ある期間をおいて、移
動する。京都が都だった時もあれば、鎌倉が政治の中心だったこともある。
世界的にも、永続的に、アメリカが都会国であるとは思えない。
ただ、現在の都会国は、明らかにアメリカで、国際的標準語は「英語」で
ある。
こういった意味において、国際的な仕事、活動をする場合、「英語」でコ
ミュニケーションが出来るというのは必須なのだろう。
以前、「言語」という私のエッセーで、「英語」を、やや否定する旨の文
章を書いたが、もう少し深く「言語」というものを考える必要性を感じた
ので、今回を、言語に関する問題提起としたい。
2006年1月21日 加藤 慶記